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信号機の「青」はなぜ緑色なのに青と呼ぶ?歴史と色の不思議な関係

信号機の「青」

信号機の「青」をめぐる歴史と文化の深い交差点

私たちが日常生活の中で何気なく見上げ、その指示に従っている交通信号機。しかし、そこには日本人なら誰もが一度は抱く、奇妙で興味深い矛盾が隠されています。進んでも良いことを示すあの光は、光学的な事実として見れば明らかに「緑色」ですが、私たちは一様にそれを「青信号」と呼び、子供たちにもそのように教えます。この現象は、単なる言い間違いや色の見間違いではありません。そこには、日本という国家が歩んできた近代化の歴史、新聞を中心としたマスメディアの巨大な影響力、そして何千年もかけて日本人の深層心理に刻まれてきた独特の色彩感覚が、複雑に、かつ美しく絡み合っています。なぜ日本人は、世界基準の「緑」を頑なに「青」と呼び続けるのか。この章では、信号機が日本に初めて降り立った瞬間にまで時計の針を戻し、その命名の裏側に隠されたドラマを詳しく紐解いていきましょう。

日本初の自動信号機とメディアによる命名

日本に初めて自動交通信号機が登場したのは、今から100年近く前の昭和5年(1930年)3月のことでした。場所は東京の政治・経済の中心地である日比谷交差点。当時、アメリカのウェスティングハウス社から輸入された最新鋭の信号機が設置され、その文明の利器を一目見ようと多くの見物人が集まりました。実は、設置当初の公的な法令(道路交通取締規則)においては、信号の色は国際的な慣習に従って「緑色信号」と正しく記載されており、行政側も当初はそれを「緑」として普及させるつもりでした。しかし、この画期的な装置の登場を報じた当時の新聞各紙、例えば朝日新聞や東京日日新聞などが、記事の中で「青・黄・赤」という三色表現を用いたことが、その後の日本の交通文化を決定づけることになります。当時の記者や一般市民にとって、夜の闇に輝く鮮やかな緑色の光は、新しい時代の到来を象徴する、生命力に満ちた「青(あおあおとした色)」として、極めてポジティブかつ直感的に受け入れられたのです。

「緑」を拒絶した国民の言語感覚

新聞報道が「青信号」というキャッチーな言葉を広めると、当局が当初目指していた「緑色信号」という呼称は、驚くほどあっさりと国民から拒絶される形となりました。言葉というものは、トップダウンで決められる公的な定義よりも、人々が日々交わす会話の中で自然に選ばれる実態の方が、はるかに強力な生命力と文化的な正当性を持ってしまうことがあります。「信号機が青になったら渡りましょう」というフレーズは、小学校の交通安全教室や家庭内での教育においても瞬く間に標準的な表現となり、数年のうちに「緑信号」という言葉は、一部の専門家の間でのみ使われる硬い専門用語へと追いやられてしまいました。当時の日本人が「緑」という色彩をあえて「青」という広いカテゴリーに含めて解釈したことは、単なる無知によるものではなく、日本人が古来より持ち続けてきた豊かな感性が、新しい技術に対しても同様に適用された結果と言えるでしょう。

日本人の色彩体系が抱える「青」の広大さ

なぜ日本人は、信号の緑色をこれほどまでに抵抗なく、むしろ進んで「青」と呼び、それを定着させたのでしょうか。その根本的な理由は、現代の私たちがデジタルデバイスや色見本帳で使っているような、細分化されたカラーチャートの中にはありません。答えは、日本語が成立した初期の段階から続く、古代の色彩構造の中に深く根を張っています。西洋的な色彩感覚では「Blue」と「Green」は、光の波長の違いによって厳格に区別されるべき二つの異なるカテゴリーですが、日本語の「青」という言葉は、それ自体が宇宙のような広がりと多様な意味を内包した「状態」を指す言葉なのです。ここでは、日本人の深層心理に刻まれた「青」の定義と、その歴史的な変遷について、言語学的なアプローチから詳しく分析していきます。

古代日本語における「四つの基本色」の世界

古代の日本において、色を直接表現し、独立して形容詞化(「〜い」と呼べるもの)されていた言葉は「赤(あかし)・青(あをし)・白(しろし)・黒(くろし)」の四つしか存在しなかったと考えられています。これらは現代の私たちがイメージする「レッド」や「ブルー」といった特定の単一色を指す名前ではなく、もっと感覚的で、光の明暗や純度、生命の状態を指す広範な概念でした。古代における「青」という言葉は、現在の青色だけでなく、緑色、紫色、さらには灰色や「はっきりしない、もやがかった色」までをすべて包括する、寒色系全般を指す極めて広大な総称として機能していました。例えば、古い歌集である万葉集においても、深い森の茂みや、夜明け前の薄暗い空、さらには血の気のない顔の色までもがすべて「青」と表現されています。この歴史的な背景があるため、日本人にとって緑色を「青」の範疇に含めて呼ぶことは、DNAレベルで刻み込まれた極めて自然な言語行為なのです。

「緑」という言葉の遅れた自立と概念

では、現代私たちが使っている「緑」という言葉は、歴史の中でどのような立ち位置だったのでしょうか。平安時代頃にはすでに「みどり」という音は存在していましたが、それは「色」そのものを指す言葉というよりも、植物の若芽やみずみずしさを表す「瑞(みづ)」に由来する、みずみずしい状態や生命力を示す言葉でした。長い歴史の中で「緑」は、長らく「青」という巨大な親カテゴリーの中に含まれる一つのバリエーション、つまり「青の中でも特に植物の若々しさを感じさせる部分」として扱われてきました。現代でも「青菜」「青リンゴ」「青畳」「青葉」といった言葉が、誰に指摘されることもなく自然に使われ続けているのは、その当時の感覚が今も私たちの言語感覚の底流を支えているからです。信号機が導入された昭和初期においても、この「緑=青の一部」という古代からの認識は極めて強力であり、それが新しい科学技術である信号機に対する親しみやすさとして、「青信号」という魔法のような呼称を生み出したのです。

信号機の「青」

法律が国民の「声」に歩み寄った改称のプロセス

言葉の現場で生じた「緑」と「青」のねじれは、やがて行政や法執行の現場においても無視できない、重大な統治上の問題へと発展していきました。公的なルールである法令の条文には「緑」と書いてあるのに、国民の100パーセントがそれを「青」と呼び、認識している。この法と実態の著しい乖離を解消するために、日本の行政組織は非常に柔軟、かつ世界でも類を見ないユニークな決断を下すことになります。それは、法律という国家の意志が、国民の日常的な言葉遣いに「屈した」、あるいは「最大限に歩み寄った」歴史的な瞬間でした。この章では、信号機の色の名称がどのようにして法的に認められていったのか、その制度的な変遷を追いかけます。

教育現場と法令の深刻な乖離による混乱

1930年の信号機導入から、第二次世界大戦を経て戦後に至るまで、警察当局や内閣は公式文書の中で頑なに「緑色信号」という用語を使い続けていました。しかし、1947年に制定された道路交通取締法においてもその表記は堅持されたものの、実際の教育現場では深刻なジレンマが生じていました。文部省が発行する小学校の教科書では、子供たちに最も分かりやすく交通ルールを教えるために、国民に馴染みのある「青・黄・赤」という三色表現が採用され、結果として教育と法律が真っ向から矛盾する状況が長く続いたのです。特に交通安全教育において、信号の呼び名が不一致であることは、子供たちの直感的な判断を妨げ、最悪の場合、道路上での認識の遅れを招いて事故の原因にもなりかねない、極めて現実的で緊急性の高い社会問題として浮上しました。

1973年、道路交通法施行令の歴史的改正

ついに昭和48年(1973年)、日本政府はこの数十年にわたる混乱に終止符を打つべく、極めて異例の措置を講じました。道路交通法施行令の改正を行い、それまで「緑色」と明記されていた信号灯火の呼称を、国民の実態に合わせて「青色」へと書き換えたのです。これは、公的な法規範が、一民間メディアが生み出し国民の慣習として定着した「俗称」によって正式に変更された、日本の法制史上でも極めて珍しく、かつ意義深い事例となりました。この法改正の瞬間、日本の信号機は名実ともに「青信号」というアイデンティティを獲得し、法律と国民の生活感覚、そして学校での教育内容が、約40年の時を経てようやく一つに統合されたのです。これは単なる文字の置き換えではなく、日本人が持つ文化的な色彩感覚の正当性を、国家という権力が正式に追認した、まさに「文化の勝利」の日でもあったと言えるでしょう。

国際基準としての「緑」と安全性の科学

日本国内でどれほど「青」という呼び名が愛され、法的に認められていようとも、信号機には「世界中の誰が見ても安全に判断できなければならない」という、国境を超えた普遍的な社会的使命があります。現代のようなグローバル社会において、日本を訪れる外国人ドライバーが信号を見てパニックに陥ることは、交通インフラとして決してあってはならないことです。ここでは、国際的な色の基準がどのように定められているのか、そしてなぜ世界中で進行の合図として「緑」が選ばれ続けているのかという、視覚生理学と物理学に基づいた合理的な理由について詳しく掘り下げていきます。

CIE(国際照明委員会)が定める厳格な境界線

交通信号機の色は、個人の主観や好みに左右されないよう、国際照明委員会(CIE)という国際的な機関によって、色度座標上の数値として厳密に定義されています。これは、世界中のあらゆる国で信号機の製造基準を統一し、国際的な安全性を確保するための重要なルールです。国際基準において、進行を許可する信号の色は明確に「Green(緑)」の領域に属するものと定義されており、日本も「道路標識及び信号に関する条約」などの国際的な精神を尊重し、その数値の範囲内を厳格に守っています。もし日本が、日本人の言葉のイメージに合わせて、例えば青空のような「真のブルー」を信号機に採用してしまったら、他国のドライバーからは「何を示しているのか不明な異常な光」として認識されてしまい、大事故を誘発する極めて危険な行為となってしまいます。そのため、日本は「呼び名は青だが、正体は国際基準の緑」という、絶妙な二重基準の上でバランスを保っているのです。

補色の関係と視認性を支えるロジック

信号機に赤・黄・緑という三色が選ばれたのには、人間の視覚システムが持つ物理的な必然性が大きく関わっています。まず赤色は、光の波長が最も長く、空気中の微粒子や霧の中でも散乱されにくいため、悪天候下でも遠くから最も早く認識できる色として「止まれ」という最も重要な指令に割り当てられました。進行を示す色として緑色が選ばれたのは、赤色の補色(反対色)に近い位置にあり、人間の脳と視覚細胞において赤と最も鮮明かつ瞬時に区別できる色であるという科学的な根拠に基づいています。また、緑色の光は人間の眼球内の視細胞を最もバランスよく、かつ穏やかに刺激するため、長時間信号を見続けるドライバーにとっても目が疲れにくく、さらに日中の強い直射日光の下でも、周囲のビルやアスファルトの背景に紛れにくいという、安全確保のための究極の機能性を備えているのです。

信号機の「青」

日本の信号機が誇る「青緑」への執念と技術

「呼び名は青として定着させたい、しかし国際的な緑の基準からは一歩も外れてはならない」。この、一見すると矛盾する困難な要求に応えるために、日本の信号機メーカーや研究者たちは、独自の進化を遂げる道を選びました。実は、日本の信号機の「色」そのものを諸外国のものと比較すると、他国には見られない微妙なニュアンスの違いがあることがわかります。そこには、日本人の文化的なこだわりをテクノロジーによって支えようとする、日本ならではの繊細なクラフトマンシップと、執念とも言える開発努力が息づいています。

「青色」のイメージに寄せるための色彩設計

日本の信号機メーカーは、CIE(国際照明委員会)が定める「緑」の許容範囲、つまり色度図上の緑色の領域の中で、最も「青」に近い、まさに青色領域との境界線上にあるギリギリの座標を選択してきました。日本の信号機の色は、アメリカやヨーロッパで使われている純粋で明るいミントグリーンに近いのに対し、意図的に青みの強い成分を配合した「ブルーグリーン(青緑色)」の色相が長年採用され続けています。この、コンマ数ミリ単位の色度調整によって、外国人観光客には「Green」として疑いなく認識され、一方で日本人には、言葉の持つ「青」という涼やかなイメージにぴったり合致して見えるという、文化と国際基準の高度な融和を、光学的な設計によって実現しているのです。これは単なる色の選択を超えた、言葉という無形の文化を守り抜こうとする、日本のエンジニアたちの静かな戦いの結果なのです。

LED化による色の純化と再現性の飛躍的向上

かつての主流であった電球式信号機では、白い電球の光に色ガラスのフィルターを通す仕組みであったため、光源の赤みやフィルターの経年劣化によって、色の正確な再現には限界がありました。しかし、2000年代以降のLED(発光ダイオード)の普及は、信号機の色彩表現に革命をもたらしました。現代のLED信号機は、特定の波長のみをピンポイントで鋭く発光させることができるため、混じり気のない極めて純度の高い「青緑色」を作り出すことが可能になり、かつての電球式よりもさらに「青」という呼称にふさわしい清涼な輝きを放っています。また、LEDは劣化による色の変色もほとんどなく、真冬の豪雪地帯から猛暑の都市部まで、日本全国どこでも、いつまでも「正しい日本の青信号」の色彩を均質に維持し続けることができるようになったのです。これにより、日本の交通インフラは、文化的なアイデンティティをより強固なものへと昇華させました。

色覚多様性とユニバーサルデザインへの配慮

近年、信号機の色を議論する上で避けて通ることができないのが「カラーユニバーサルデザイン(CUD)」という視点です。色の見え方は一人ひとり異なり、全人口の数パーセント、日本国内だけでも数百万人規模で、特定の色の組み合わせを判別しにくいという色覚特性を持つ人々が存在します。信号機は、その社会的な役割から、どのような特性を持つ人であっても100パーセント正確に、かつ瞬時に判断できなければならない究極の安全装置です。この章では、文化的呼称としての「青」と、多様な人々への「安全性」がどのように両立されているのかについて解説します。

「赤と緑の混同」という事故リスクを防ぐための工夫

特定のタイプの色覚特性を持つ方にとって、従来の純粋な「緑色」は、警告を示す「赤色」と非常によく似た色合い、あるいは共に茶色やグレーに近い色に見えてしまうという課題がありました。これは、交通安全という観点からは決して看過できない重大なリスクです。現在、日本で広く採用されている「青寄りの緑色信号」は、単に日本人の文化的な好みに合わせるだけでなく、赤色との色のコントラスト(色相の差)を光学的に最大化し、色覚の多様性を持つ方でも、輝度の違いや色の方向性の違いで、より確実に「青(進め)」を判別できるように設計されています。皮肉なことに、日本人が歴史的にこだわり続けてきた「緑を青に近づける」という文化的な選択は、現代の科学的な検証の結果、より多くの人にとって安全な「ユニバーサルデザイン」としての合理性を備えていたことが、改めて証明される形となりました。

進化したLEDユニットと視覚補助情報の多角化

現代の信号機技術は、もはや単なる「色の提示」だけにとどまりません。色覚特性を持つ方や視覚に障害を持つ方をより確実かつ多角的にサポートするために、様々な補助的な情報の提供が試みられています。一部の自治体では、色覚障害のある方がより直感的に判断できるように、赤信号には「×」印、青信号には「○」印のLEDパターンを薄く重ねて表示する「色覚バリアフリー信号灯器」の導入も進められています。信号機は今や、単なる視覚的な合図を超え、音響システムによるガイドや、車載器への直接的な情報送信を行うインフラへと進化し、誰もが取り残されない「総合安全プラットフォーム」へとアップデートされています。私たちが愛する「青信号」という言葉の裏側には、最新の人間工学と情報工学を駆使して、あらゆる人の命を守り抜こうとする、多層的な安全の仕組みが幾重にも積み重なっているのです。

信号機の「青」

言葉が世界を塗り替える:色彩と認知の未来

信号機の色が「物理的な緑」であるにもかかわらず、私たちがそれを「文化的な青」と呼び続けるという事実は、私たち人間に深い哲学的な問いを投げかけています。私たちは、この世界を「客観的な事実」としてありのままに見ているのではなく、自分が生まれ育った環境から授かった「言葉のフィルター」を通して再構築し、認識しているのです。この最後の章では、信号機の「青」という事例を通じて、言葉が人間の認知や感性、そして社会のあり方にどのような影響を与えるのか、そしてこれからの未来において色彩がどのような役割を果たしていくべきなのかを考察します。

サピア=ウォーフの仮説と日本の「青」の豊かさ

言語学や認知心理学の世界には「その人が話す言語の体系が、その人の物事の捉え方や世界観、さらには知覚そのものを規定する」というサピア=ウォーフの仮説があります。日本人が緑色の信号を「青」と呼び続けることで、私たちの脳は、緑の風景の中に含まれる青の成分をより鋭敏に感じ取り、そこに特有の清涼感や静寂、あるいは清潔さを読み取っている可能性があります。「青信号」という言葉を何世代にもわたって共有し続けることは、日本人が古来より大切にしてきた、物事を厳格に切り分けるのではなく「曖昧さの中にある美」や「広がりを持つ分類」として捉えるという、独自の感性を次世代へと無意識に継承していることに他なりません。科学的な正確さだけを追求して「緑信号」と呼ぶ冷徹な社会よりも、あえて文化的な記憶を優先させて「青信号」と呼び合うことで生まれる情緒や連帯感を、日本社会は一つのアイデンティティとして選択したのです。

日常の矛盾の中に潜む、知的好奇心の種

信号機の色という、一見すると取るに足らないような日常の些細な矛盾を深く追求していくと、そこには歴史学、言語学、法学、物理学、光学、そして最新のデジタルテクノロジーに至るまで、実に多様で広大な学問の領域が複雑にクロスオーバーしていることに気づかされます。「なぜ緑色なのに青と呼ぶのか?」という、子供のような素朴な疑問を、ただの勘違いとして片付けるのではなく、その背景にある「理由」を丁寧に紐解いていくことこそが、私たちが生きる世界をより深く、より多角的に理解するための、最も素晴らしい科学的探究心の第一歩となります。信号機の「青」は、効率や合理性だけでは決して説明し尽くせない、人間という存在の愛おしい不合理さと、文化の力強さを象徴する光なのです。これからも交差点で信号待ちをする際、あの輝く青緑色の光を見上げながら、そこに宿る長い歴史の旅路と、日本人が守り続けてきた言葉の誇りに、少しだけ想いを馳せてみてください。

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