新自由主義とは何か?定義や歴史的背景などわかりやすく解説!

新自由主義とは何か
新自由主義(ネオリベラリズム)は、20世紀後半以降の政治・経済政策に大きな影響を与えた思想であり、特に1970年代以降の世界的な経済政策転換において中心的な役割を果たしました。経済の自由化、政府の役割縮小、民営化、規制緩和などを基本的な柱とし、国家の介入を最小限に抑えて市場の力を最大限に活用すべきという立場を取ります。しかし、同じ「自由主義」という語がさまざまな意味合いで用いられてきた歴史的背景により、新自由主義の定義は一様ではなく、研究者や政策立案者の間でも解釈の相違が見られます。
新自由主義(ネオリベラリズム)の定義
新自由主義とは、従来の福祉国家的な経済管理から脱却し、市場メカニズムを通じた資源配分の効率性を最大化することを目的とした経済思想です。政府の役割は市場秩序の維持に限定され、所得の再分配などへの過剰な介入は排除される傾向があります。特にアメリカのミルトン・フリードマンやフリードリヒ・ハイエクといった経済学者によって理論化され、レーガン政権やサッチャー政権で政策として採用されました。
この思想の根幹には、「個人の自由」が最大の価値とされており、経済的自由=政治的自由の前提であるという考えが存在します。そのため、国家が経済に介入すればするほど自由が制限されるとされ、規制撤廃や民営化が進められました。
社会自由主義(ニューリベラリズム)との違い
一方で、同じく「自由主義」の一形態である社会自由主義(ニューリベラリズム)は、新自由主義とは異なり、個人の自由を保障するために、国家の積極的な介入を必要とすると考えます。社会保障、福祉政策、教育機会の提供などを通じて、すべての人に公正なスタートラインを提供することが目標です。
社会自由主義は、19世紀後半から20世紀前半にかけてイギリスや北欧諸国などで発展し、古典的自由主義に内在する社会的不平等を是正する理論的補完の役割を果たしました。これに対して新自由主義は、1980年代以降のグローバル経済における市場競争の活性化を重視し、「機会の平等」よりも「競争の自由」に重きを置いています。
用語の由来と多義性(リュストウ、リップマン会議など)
「新自由主義(ネオリベラリズム)」という用語は、1938年にパリで開催されたウォルター・リップマン会議において、ドイツの経済学者アレクサンダー・リュストウによって初めて用いられたものです。リップマンやルイ・レージエなどとともに、従来のレッセフェール型自由主義の限界を認識し、新しい枠組みとしての「制御された自由市場」の必要性を訴えました。
当時の新自由主義は、今日一般的に認識されている市場原理主義とは異なり、法的・制度的枠組みの中で競争を確保する「秩序ある自由」を目指していました。この概念はフライブルク学派やオルド自由主義と深く結びつき、戦後の西ドイツの社会市場経済にも影響を与えました。
しかしその後、特に1970年代以降、ミルトン・フリードマンらによるシカゴ学派の理論やワシントン・コンセンサスなどによって、より市場原理に重きを置いた形に再構成されていきました。そのため、「新自由主義」という語は時代や地域、文脈に応じて異なる意味で使用されるという多義性が生じています。
「自由主義」の定義が難しいことによる混乱
新自由主義をめぐる最大の混乱の一因は、基盤となる「自由主義(リベラリズム)」自体の定義が多様であり、文脈によってその意味が変わってしまう点にあります。自由主義は、本来は市民の権利や自由、民主主義を尊重する思想ですが、経済自由主義(レッセフェール)と社会自由主義の両方を含む広範な概念です。
そのため、「新自由主義」がどの立場から、何を批判・支持しているのかが曖昧になることがしばしばあります。経済学の立場からは「政府の非介入」を称揚する場合が多い一方、政治思想や哲学の分野では「個人の自己実現」や「社会的正義」と結びつけて自由を再定義する立場もあります。
このように、新自由主義という語が示す内容は、その背景となる自由主義の解釈によって大きく左右されるため、明確な定義が困難であり、議論の複雑化を招いています。
新自由主義の歴史的背景と起源
新自由主義の思想は、単なる経済政策の一形態にとどまらず、20世紀の混乱と変革の中で生まれた多面的な知的運動の成果です。1930年代の世界恐慌とその後の国家主導の経済政策への反発から、新たな自由主義の形を模索する動きが始まりました。この章では、その理論的ルーツと具体的な発展過程を、代表的な思想家や国際会議を通じて見ていきます。
1930年代のリップマン会議とウォルター・リップマン
1938年8月、パリで開催されたウォルター・リップマン国際会議は、新自由主義思想の誕生において画期的な出来事でした。アメリカのジャーナリストで政治思想家のウォルター・リップマンが著した『自由と秩序』に触発されたこの会議には、フリードリヒ・ハイエク、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、アレクサンダー・リュストウなど、多数の自由主義思想家が集まりました。
彼らは、従来のレッセフェール型の自由主義が独占や不平等を助長したことへの反省から、国家の制度的枠組みの中で市場を守る「新しい自由主義」の必要性を論じ合いました。リュストウはこれを「ネオリベラリズム」と名づけ、古典的自由主義の刷新として位置づけました。
オーストリア学派(ハイエク、ミーゼス)とフライブルク学派
新自由主義の理論的源流は、19世紀末から20世紀初頭のオーストリア学派にさかのぼります。特にフリードリヒ・ハイエクとルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、市場が持つ自律的調整機能を強く主張し、政府の恣意的介入が経済の非効率性と自由の抑圧につながると警告しました。
一方、ドイツのフライブルク大学を中心とするフライブルク学派は、より実証的・制度的な視点から「オルド自由主義(秩序自由主義)」を唱えました。彼らは、完全な自由放任ではなく、市場の自由を維持するためにこそ、法制度による秩序づくりと独占防止が不可欠だと考えました。これは後のドイツの「社会市場経済」の基盤となります。
モンペルラン・ソサイエティーと理論的基盤の確立
第二次世界大戦終結直後の1947年、ハイエクはスイスのモンペルランで国際的な学者ネットワーク「モンペルラン・ソサイエティー(Mont Pèlerin Society)」を創設しました。この団体は、戦後世界で台頭しつつあった社会主義・計画経済に対抗し、自由市場経済の再評価と再構築を目指す学術的・思想的な拠点となりました。
参加者にはミーゼス、フリードマン、リュストウなどが名を連ね、自由主義の理論的深化が進められました。このソサイエティーは、各国における新自由主義的政策の理論的支柱となり、思想的ネットワークとしても影響力を持つようになります。
社会市場経済とオルド自由主義との関係
オルド自由主義の流れを汲むドイツの経済政策は、戦後の復興期において「社会市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」として具体化されました。これはルートヴィヒ・エアハルトやアルフレート・ミュラー=アルマックらによって導入され、市場の自由と社会的公正の両立を目指す経済モデルとして成功を収めました。
オルド自由主義は、自由放任ではなく「ルールによる自由」を重視し、健全な競争環境の維持に国家が一定の役割を果たすことを認めます。その点で、後のシカゴ学派的な徹底した自由市場重視の思想とは一線を画します。
つまり、新自由主義の初期段階では、国家と市場の役割をどう調和させるかが理論的な核心だったのです。これが後年、より急進的な自由放任型へとシフトしていく過程において、多様な思想的系譜と重なりながら新自由主義の定義が多様化・複雑化する要因となりました。

世界各国における新自由主義政策の展開
1970年代のスタグフレーションと既存のケインズ主義的政策の限界を背景に、多くの国々が新自由主義的な経済政策へと転換していきました。特に英米における政治的リーダーの交代とともに、市場の自由を重視する政策が本格化し、グローバルな潮流として広がっていきます。この章では、代表的な国々における政策導入とその影響、そしてそれを理論的に支えたワシントン・コンセンサスについて解説します。
イギリス(サッチャー政権)、アメリカ(レーガン政権)
イギリスでは、1979年に就任したマーガレット・サッチャー首相が、徹底した民営化、労働組合の弱体化、金融自由化などを柱とした「サッチャリズム」を推進しました。彼女は「小さな政府」と「自助努力」を信条に、戦後の福祉国家路線からの転換を図りました。特に国有企業の民営化は、英国内だけでなく他国の政策にも大きな影響を与えました。
一方、アメリカでは1981年に大統領に就任したロナルド・レーガンが、供給側経済学(サプライサイド・エコノミクス)に基づく減税と規制緩和を断行しました。これにより、個人や企業の活動を促進し経済全体を成長させる「トリクルダウン効果」が期待されました。また、金融・通信・航空など多くの分野で規制撤廃が行われ、市場競争が強化されていきました。
チリ(ピノチェト政権とシカゴ・ボーイズ)
チリでは、1973年の軍事クーデターでアウグスト・ピノチェトが政権を掌握した後、シカゴ大学で学んだ経済学者グループ「シカゴ・ボーイズ」による急進的な市場改革が実施されました。具体的には、物価統制の廃止、国営企業の民営化、関税の撤廃、年金制度の民営化などが行われました。
これらの政策により、一時的にインフレの抑制や経済成長が実現されましたが、格差の拡大や貧困層の不満も生じました。また、政治的には言論弾圧や人権侵害が横行し、新自由主義と権威主義の結びつきが批判される要因ともなりました。チリは新自由主義の実験場とされ、その成功と失敗の両面が今日に至るまで議論されています。
ドイツ、オーストラリア、日本の事例
ドイツでは、オルド自由主義をベースとした「社会市場経済」が戦後の経済再建を成功させ、民営化と競争促進のバランスを重視する形で新自由主義の影響を受けました。特に1980年代以降、労働市場の柔軟化や財政健全化政策が進められました。
オーストラリアでは1980年代から労働党・自由党を問わず、国営企業の民営化、金融自由化、関税の引き下げといった新自由主義的政策が積極的に採用されました。この結果、国際競争力は向上したものの、社会保障の再編成や地方経済の衰退も課題として残されました。
日本においては、中曽根康弘政権(1980年代)での「三公社の民営化」(日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本専売公社)を皮切りに、新自由主義的な改革が本格化しました。その後、小泉純一郎政権下では「聖域なき構造改革」が掲げられ、郵政民営化や規制緩和など、市場主導の経済構造への転換が進められました。
ワシントン・コンセンサスの内容と影響
1989年、アメリカの経済学者ジョン・ウィリアムソンが提唱した「ワシントン・コンセンサス」は、新自由主義的政策の指針として、特に発展途上国に対する国際金融機関(IMF、世界銀行など)の政策要請の枠組みとして使われました。その主要な内容は以下の10項目です。
- 財政規律
- 公共支出の効率化
- 税制改革
- 金利の市場化(金融自由化)
- 為替制度の競争力確保
- 貿易の自由化
- 外国直接投資の促進
- 国営企業の民営化
- 規制緩和
- 財産権の保障
これらの政策は、市場の機能を重視し、国家の役割を縮小する方向性を明確に示したものです。しかし、特に中南米諸国ではこれによる社会格差の拡大や経済不安定化が起こり、2000年代以降にはワシントン・コンセンサスへの反発も強まりました。
日本における新自由主義の導入と変遷
日本における新自由主義の展開は、1980年代以降の政権運営と経済改革の中で、段階的にかつ選択的に進められてきました。アメリカやイギリスのように急進的ではなかったものの、官主導の高度経済成長期からの脱却と財政健全化の必要性に迫られた中で、民営化・規制緩和・市場原理の導入といった新自由主義的政策が導入されていきました。この章では、日本でのその流れと背景、また社会に与えた影響について詳述します。
中曽根康弘政権の民営化政策
1982年に首相に就任した中曽根康弘は、「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄(日本国有鉄道)、電電公社(日本電信電話公社)、専売公社(日本専売公社)の三公社の民営化を中心とした大規模な行政改革に着手しました。これは、財政赤字の削減と公共部門の効率化を目的としたものであり、日本における新自由主義的政策の先駆けとなりました。
この民営化によって、NTT、JRグループ、日本たばこ産業(JT)などが誕生し、競争原理が導入されることで効率化やサービス向上が期待されました。一方で、鉄道の地方路線廃止や雇用の削減といった社会的コストも顕在化し、公共サービスの持つ「非営利性」と「公平性」が揺らぐ契機ともなりました。
橋本政権の金融ビッグバン、小泉政権の構造改革
1990年代後半、橋本龍太郎内閣は「日本版金融ビッグバン」と呼ばれる金融制度改革を打ち出しました。これは、金融業界の自由化・透明化・国際化を3本柱とするもので、外資参入や証券・銀行業務の垣根撤廃などを通じて市場競争を強化する狙いがありました。
2001年に登場した小泉純一郎政権では、「聖域なき構造改革」がスローガンとなり、新自由主義的改革はさらに加速します。郵政民営化、規制緩和、地方分権、労働市場の柔軟化などが推し進められ、経済の効率化と国際競争力の強化が強調される一方で、格差拡大や社会的弱者の排除といった批判も強まりました。
日本型経営との衝突と批判(中野剛志など)
新自由主義的改革は、長年の日本型経営と大きく衝突しました。日本型経営は、終身雇用、年功序列、企業内労働組合といった制度を通じて、安定性と企業内共同体を重視するものでした。これに対して、成果主義や非正規雇用の増加を伴う市場原理の導入は、従来の「雇用の保障」を崩し、働き方や社会観に大きな変化をもたらしました。
経済評論家の中野剛志は、こうした流れに批判的な立場を取り、「日本的経営や共同体主義の破壊」として新自由主義を問題視しました。中野は、歴史的・文化的に形成された日本社会の秩序を無視した改革は、真の自由や多様性を損ねるものであり、結果として社会の分断や国家の劣化を招くと警告しています。
「民活」や「規制緩和」が与えた影響
1980年代以降、日本では「民間活力の導入(民活)」を合言葉に、民間企業のノウハウや資金を公共事業に活用する政策が広がりました。空港、高速道路、都市開発などのインフラ整備において、官民連携(PPP)の形が次々と採用されていきました。
また、規制緩和は電気通信、航空、タクシー、教育、医療といったさまざまな分野に及び、新たな事業参入やサービスの多様化を生み出しました。しかし、規制緩和の進展により、価格競争による品質の低下や、地域間格差、労働条件の悪化といった弊害も表面化し、政府の役割と市場の限界を問い直す声も強まっています。
これらの政策は、日本経済の再構築に一定の成果を挙げた一方で、社会の持続性や包摂性といった新たな課題も浮き彫りにしたといえるでしょう。
新自由主義の理論的特徴と中心概念

新自由主義は単なる経済政策ではなく、深い理論的背景と哲学的基盤を持つ包括的な思想体系です。市場の自己調整力や競争原理の信頼に加え、国家の役割の縮小を前提とした法制度や通貨政策、さらには個人のあり方に至るまで影響を及ぼしてきました。この章では、新自由主義の中心概念とその理論的特質について詳しく探っていきます。
法の支配、市場競争、政府介入の最小化
新自由主義の根幹にあるのは、「法の支配(Rule of Law)」を基盤とした市場競争の促進と、国家による介入の最小化です。ハイエクは、自由な市場を維持するには、政府は市場の外部に立って中立的なルールを定め、これに基づいて秩序を構築すべきであると主張しました。
この視点では、国家が個別の市場に干渉したり、恣意的な再分配を行うことは市場の自律性を破壊するとされ、政府の役割は「競争を守ること」に限定されます。そのため、独占やカルテルへの監視は必要とされるものの、産業育成や福祉政策への関与は否定的に捉えられる傾向があります。
マネタリズム(フリードマン)とサプライサイド経済学
アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは、新自由主義の理論的支柱として、「マネタリズム(通貨数量主義)」を提唱し、財政支出よりも通貨供給量の管理が経済安定に有効であると説きました。この理論は、インフレの主因を過剰な通貨供給と捉え、中央銀行による適切なマネーコントロールを強調します。
また、1980年代には「サプライサイド経済学」が台頭し、供給面の改革――すなわち法人税や所得税の引き下げ、生産性向上のための規制撤廃など――を通じて経済成長を促す考え方が広まりました。これはレーガン政権の経済政策に反映され、「まず富裕層を豊かにすれば、やがて庶民にも恩恵が降りてくる」というトリクルダウン理論の土台ともなりました。
トリクルダウン理論とジニ係数上昇
トリクルダウン理論は、新自由主義的政策の代表的な社会還元論であり、富の偏在が一時的に進んでも、経済全体の成長が最終的にすべての人に利益をもたらすという前提に立っています。高所得層への減税や企業活動の自由化は、投資や雇用を生み出し、長期的には所得の底上げにつながるとされました。
しかし現実には、1990年代以降、各国でジニ係数(所得格差の指標)が上昇傾向を示し、格差拡大が社会問題化しました。特にOECD諸国では、中間層の縮小や相対的貧困率の上昇が顕著となり、トリクルダウン効果への懐疑が強まりました。このため、近年では「インクルーシブ・グロース(包摂的成長)」への関心も高まっています。
哲学的新自由主義と「起業家的自己」
新自由主義は経済理論を超えて、社会や個人のあり方にまで波及しています。現代では、「個人を市場における自己責任の主体=起業家的自己(entrepreneurial self)」として位置づける考え方が広まりつつあります。
この考えでは、個人は自らのスキルや資源を「市場化」し、リスクを取り、成果を出すことが期待されます。教育、健康、家庭生活といった私的領域にまで競争や効率の論理が持ち込まれ、人間は自己管理と自己最適化を迫られる「自由な起業者」として生きることが常態化しています。
こうした哲学的新自由主義は、社会の構造や倫理観にまで影響を及ぼし、単なる経済政策では捉えきれない文化的・思想的な枠組みを提供するものとなっています。
新自由主義をめぐる肯定と批判の声
新自由主義は、経済効率の向上や市場競争の活性化を通じて世界経済に変革をもたらした一方で、貧困や格差、公共財の空洞化など多くの社会的課題を引き起こしたとの批判も受けています。この章では、代表的な肯定論と批判論を取り上げながら、市場原理主義と公共的価値との対立構造、そして新自由主義が生んだ現代社会の歪みについて考察します。
肯定的見解(八代尚宏、バーナンキ、マンキューなど)
日本の経済学者八代尚宏は、著書『新自由主義の復権』において、新自由主義は決して「弱者切り捨て」ではなく、効率的な資源配分と持続可能な社会保障制度を両立させる改革の思想であると主張しています。彼は、日本経済の停滞は「反市場主義」と「過剰な保護政策」によるものであり、市場原理の尊重こそが再生の鍵だと位置づけました。
米連邦準備制度理事会(FRB)前議長のベン・バーナンキは、ミルトン・フリードマンの功績について、「世界恐慌における金融政策の失敗を明らかにし、中央銀行の役割を理論的に確立した」と高く評価しています。
また、グレゴリー・マンキューは、「合理的期待形成」や「サプライサイド理論」などの視点からフリードマンの経済学を支持し、彼の理論が現代経済の基礎を築いたと述べています。
批判的見解(ナオミ・クライン、デヴィッド・ハーヴェイ、宇沢弘文など)
一方、カナダの作家ナオミ・クラインは『ショック・ドクトリン』の中で、新自由主義が災害や危機の混乱に乗じて急進的な市場改革を押し付けてきた手法(ショック・セラピー)を痛烈に批判しました。特にチリやイラクなどにおける実例を挙げ、経済的成果の陰で社会的破壊が起きたと指摘します。
地理学者のデヴィッド・ハーヴェイは、新自由主義を「富の再配分ではなく、富の再集中を目的とした階級プロジェクト」と位置づけ、グローバル資本の利益を最優先する構造に対する警鐘を鳴らしています。
また、宇沢弘文は新自由主義が「社会的共通資本」としての教育・医療・環境を市場に委ねることで、公共性や倫理を著しく損なうと批判しました。彼は、「市場で値がつかないものを無価値とする思想」こそが最大の問題であると述べています。
市場原理と公共財の対立
新自由主義は、市場における自由競争と効率性を重視する一方で、公共財(インフラ、教育、医療、環境など)の価値を市場評価の枠組み内に組み込もうとします。これにより、公的部門の民営化や民間委託が進められ、多様な選択肢とサービス競争が実現した反面、「儲からないが必要なサービス」が削減される傾向も顕著になりました。
特に医療や介護などの分野では、利益と倫理の衝突が発生しやすく、新自由主義がもたらす「公共性の空洞化」が深刻な問題として指摘されています。この対立は単なる制度設計の問題にとどまらず、社会の価値観や哲学的基盤にもかかわる重要な論点です。
貧困・格差・社会的排除の視点からの議論
新自由主義的改革は、雇用の流動化や非正規雇用の増加を促進し、労働市場の柔軟性を高めた一方で、安定した生活基盤を失った層の拡大という副作用をもたらしました。特に若年層や地方の労働者、母子家庭など、構造的に不利な立場にある人々が経済的に排除される傾向が強まっています。
トリクルダウン理論の実効性が問われる中、所得再分配の不十分さが社会的分断を深め、教育や健康といった「人的資本」への投資の偏在が、格差の固定化や世代間貧困の再生産という深刻な問題につながっています。
こうした課題を受けて、21世紀に入ってからは「包摂的成長」や「ウェルビーイング経済」といった新たな概念が注目されており、新自由主義を超える新たな経済哲学の模索が始まっています。

新自由主義の現在と未来
20世紀後半から世界を席巻してきた新自由主義は、21世紀に入り大きな転機を迎えています。グローバル資本主義と結びついたその政策は、国際経済のダイナミズムを加速させた一方で、格差の拡大や社会的排除、環境破壊といった深刻な副作用ももたらしました。本章では、グローバリズムとの関係やその影響、そして新自由主義に対する批判的潮流や新たな代替思想の台頭について考察します。
グローバリズムとの関係と影響
新自由主義は、1980年代以降のグローバリゼーション(経済の国際化)と密接に結びついてきました。資本の自由移動、貿易の自由化、投資規制の緩和などが推進され、多国籍企業が国境を超えて利益を追求する体制が確立されました。
その結果、世界経済の一体化が進み、発展途上国にも市場メカニズムが浸透する一方で、国家の主権が経済合理性の名のもとに制限され、民主主義との緊張が生じる構造が生まれました。特にIMFや世界銀行が新自由主義的政策を条件として融資を行う姿勢は、「新植民地主義」として批判の的にもなりました。
新自由主義批判とポスト新自由主義の潮流
2008年のリーマン・ショックを契機に、新自由主義への懐疑は一層強まりました。過度な金融自由化が招いた世界的金融危機は、市場の自己調整能力に限界があることを露呈させ、国家の積極的役割を再評価する機運を高めました。
この文脈で台頭したのが「ポスト新自由主義(Post-Neoliberalism)」の潮流です。基本的な市場の枠組みを尊重しつつも、格差是正、環境保全、労働者の権利保護といった公共的価値を重視する政策モデルが模索されています。例えば、北欧諸国の「福祉資本主義」やラテンアメリカにおける「社会的包摂重視型開発」などがその具体例とされます。
社会的共通資本、福祉国家、持続可能な資本主義への模索
経済学者・宇沢弘文が提唱した「社会的共通資本」という概念は、新自由主義が見落とした公共性を回復するための鍵として注目されています。これは、教育・医療・環境・文化など市場原理では測れないが、社会の維持に不可欠な基盤を意味します。
また、経済の効率性だけでなく、倫理性や持続可能性をも視野に入れた「持続可能な資本主義」への模索も始まっています。ベーシックインカム、グリーンニューディール、ESG投資といった取り組みは、市場と公共の調和を模索する新しい資本主義の形として期待されています。
コロナ禍や気候変動以後の再評価の動き
2020年以降の新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、市場にすべてを委ねる新自由主義の脆弱性を世界に突きつけました。医療体制の逼迫、生活困窮者の増加、雇用の喪失など、緊急時における国家の役割の重要性が改めて認識されました。
同時に、気候変動という人類全体の課題に対しても、短期的な市場利益を優先する体制では対応が困難であることが明らかとなっています。国際的にはカーボンニュートラル政策やSDGsの推進が進み、国家・企業・個人が一体となって新たな経済モデルの構築を迫られる時代に入っています。
こうした流れの中で、新自由主義は単なる反省の対象ではなく、乗り越えるべき過去の遺産として認識されつつあります。そして今、新たな時代にふさわしい経済思想と社会設計の模索が始まっているのです。
